30代後半にして考える自分に向いている仕事の見つけ方・選び方
2016/10/08
僕は今年で独立して二期目、社会人(フリーターを卒業して正社員として就職)としては15年目なのですが、自分に向いている仕事について考えることが多いです。今回のエントリー、結論から言うと「向いている仕事」なんてやってみないとわからないのですが、少なくとも「向いてない仕事」をどうやって見極めていくかについては、いま目の前の仕事について悩んでいるひとの参考になるんじゃないかと思います。
器用貧乏な自分
小中学校は優等生
僕は核家族で共働きの両親のもと、男二人兄弟の次男として育ちました。
いま子育てをしていて感じることなのですが、長男・長女というのは大体においてちょっと損をするように思います。下の子は上の子を見て学ぶことが出来ます。しかし長男は学ぶべき身近な存在がないので、父親である自分がいい反面教師になることが重要だと思います。
このあたりの話はいずれ他のエントリーで書こうと思います。
その「長男の失敗を見て育った末っ子」である自分は、割りと器用で要領がいいという自覚があります。小学校の頃から常に成績は優秀で、某進学塾の全国模試でトップとなったこともありますし、スポーツも勉強もできる子でした。
スポーツは持って生まれた運動神経がものを言う部分が大きいと思いますが、勉強については母親の教育によるところが大きいと感じています。小学校低学年のころから1〜2年先の教材で勉強をさせられていて(決して教育ママというわけではなかった)、通常の学校の授業はほぼ勉強無しで満点という状況でした。
そういう状況なので、「努力する」という習慣が身につかないんですよね。所謂「器用貧乏」。これが後のひと生の大きく影響を及ぼしていると考えています。
年齢を重ねるにつれて、周囲に「自分の意志で努力しているひと」が現れてきます。ギターが好きで好きでずっと弾いていられる友人、目標があってその実現手段として勉強に打ち込んでいる友人、デザインが大好きで常にインプットとアウトプットを繰り返している友人など。
そんなひとたちに比べて「何をしてもそこそこできちゃう」自分は、何かに打ち込むこと無く、なんとなくフリーターを卒業してデザイナーとして就職します。
就職して仕事を「回す」能力を自覚
就職した後しばらくはデザイナーとしての業務をこなしていきます。これも「こなす」という表現がぴったりだな、と思い返すのですが、いま僕の周囲にいる優秀なデザイナーから見れば「そんなのデザインじゃない」という仕事の仕方をしていました。ただ、元来の要領の良さもあってか、とにかく会社の業績は伸びていきました。仕事を回すのが本当に面白かったんですね。
僕がいた会社は所謂ブラック企業だったのですが、その風潮を作ってしまったのは僕かもしれません。とにかく数をこなして数字を上げることが楽しかったのでした。
業績が伸びるに従って自分の後輩が増えてきます。入社当初、デザイン部門は2人でしたが、最終的には16人になっていました。その過程で、当然ですが自分の仕事を部下にやってもらうという局面が訪れます。そして、それによって回せる仕事量が増えることをとても楽しんでいました。また、数字を伸ばすことは楽しいことなんだとブラックな風潮がさも当然かのように振舞っていました。今考えると最低の上司ですね。
部下の方が優れていることに気がつく
部下に仕事を任せることと並行しながら自分もデザイナーとして業務にあたっていました。ただ、デザインにそれほど打ち込めない自分は、お客様の満足を得られないことが多々有りました。そんなときは部下にお願いしてみるのですが、明らかに自分より良い(お客様の満足度の高い)成果物をアウトプットすることが多くありました。
このあたりから、自分の能力はいま向き合っている仕事ではないのではないか、という思いが膨らみます。そして徐々に仕事の内容をシフトさせるべく手持ちの仕事を手放し、より上流の仕事、例えばもっと業務が効率よく回る仕組みや、クオリティをキープできる仕組みづくりに腐心していきます。
この時手持ちの仕事をキープしながら、上流の仕事も並行して進めようとしていたら絶対にうまく行かなかったと思います。
やることを決めるのは難しい
決意を新たにしても無意味
僕は基本的に「決意を新たにすること」を信用していません。よく言われることですが、環境を変えないと何事も変わりません。「よし、これをやろう」と思ったら、そうなる環境づくりをすることから始めるべきです。多くの場合痛みを伴いますが、それをクリアして初めて新しい仕事に取り組むことが出来ると思います。
いままでの自分もそうでしたし、いまでも難しいことは多々有ります。しかしこれは絶対的な真実だと思います。
よく年始に「今年はこれをやる」と決めることが多いと思います。そのやることを決めたら、絶対に「それをやる方法」を考えるべきです。仕組み化して自分の意志でなくてもやらざるを得ない状況をつくるのです。ひとの気持ちのコンディションには波があります。嫌でもやらざるを得ない状況をつくるのです。
自分の容量はそれほど多くないと自覚する
僕は、一部の天才的なひとを除いて、ひとの仕事をこなせる量はそれほど変わらないと考えています。たくさん仕事ができるひとは、おそらくほかのひとに任せたりして、たくさん切り捨てています。もしくはやってる業務がごく表面的だったりします。
僕らは、周囲にいる仕事ができるひとを見ると、何から何まで優秀ですべてハイレベルにこなすことのできるスペシャルなひとに見えてしまいます。しかし、多くの経営者仲間と話をする機会が増えた今、そんなにすごいひとはほとんどいません。ただ、仕事ができるひと、結果を出しているひとはやるべきことにフォーカスを当てているのです。
やらないことを決めると、やることにフォーカスがあたる
自分の器を空ける意識が大切
やるべきことが分かった場合、そのやるべきことをきちんと出来る環境づくりが必要です。
今の時代、情報量は爆発的に増え、放っておいてもSNS等から膨大な料の情報が自分に流れ込んできます。そんな時代に自分のやるべきことにフォーカスをあてるのはとても難しいですし、そもそも目の前の仕事をこなさなければ収入を手放すことにつながりかねません。
しかし、それでも僕は、「自分の器」を空ける必要があると思います。いまの仕事をこなすことに拘泥していては、絶対に新しいことを始めることが出来ないといえます。もし出来るのであれば、それは今の仕事で自分の容量がいっぱいになっていないと言えるでしょう。
開けた器には勝手に何かが入ってくる
水野敬也氏の著書「夢をかなえるゾウ 文庫版」にも書いてありますが、空けた器にしか新しいことは入ってこないと思います。いくら自分が時間をひねり出そうと努力したところで、入るべき器の容量は決まっているわけですから、ひとつひとつが薄く小さくなるのは必定です。
かくいう僕も半年前から英会話を始めたのですが、完全に仕事量の推移を見誤り安くない授業料を無駄にしてしまいそうです。いま仕事に追われている状況において自分自身の器が空いていないので、まったく上達しないんですよね。予習復習もろくに出来ていません。また会社の事業を転換させることも考えているのですが、こちらも同じ理由でうまく行っていません。
来年(2016年)の目標は、売上を手放してでも今の仕事を捨てることですね。
その仕事に向いているかどうかは周りが決めてくれる
ちょっと脱線してしまいましたが、とにかく自分の今やっている仕事は、与えられているものの場合がほとんどです。自分の意志で選び取れることって一部のひと以外はかなり稀なことじゃないかと思います。
しかしその状況だと、自分に向いているかどうかの判断ができませんよね。ただ言えること、それは、周囲の評価が得られる仕事は向いているのです。たとえ自分が楽しくなくても、そうなのです。逆に言うと周囲から評価を得られない仕事は向いていないと割り切ることが必要だと思います。周囲の評価を得られない仕事に向き合うのはつらいことです。そのつらいことに努力できるようには、人間はできていないと思うのです。楽しいことにしか努力出来ない。ちょっと逆説的ですが、そう思います。
頑張ってるのに評価されないな、というときは周囲が無言のうちに「向いてないよ」と言ってくれていると思って、自分の転職を探す意識を持つことも必要なのです。
もちろん一定の努力と相応にかける時間なしには何事も評価の俎上に載せられないですが。
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